Yuki's Message


Message from Yuki

Yuki Lightworks ホームページをお訪ね下さりありがとうございます。

Yuki Carterが描き綴り続けて来た世界をこのような形でお伝えできることを本当に嬉しく思います。

なぜ私がこうして描くようになったか、これまでの経緯をお話しさせて頂きたいと思います。少し長くなりますが、お読み頂けたら嬉しいです。

 

皆誰でも少なからず持っている問いだと思いますが、私はものごごろついた頃より、なぜ自分がここに生まれて来たのか、自分の存在意義に対する問いを心の中で繰り返して来ました。中学生の頃からその想いはふつふつと常にあり、高校生になった頃進路を決める時に、自分の中で何かが止まってしまいました。

将来の夢や進学について考える前に、なぜ自分がここに生まれて来たのか、それを知らなければ…と思ってしまったのです。周りを見渡すとそうした疑問を持たずに皆将来の進路に向けて頑張り始めていました。私は図書室で難しい哲学書の中に答えを探したり、あらゆる宗教書についても読んだりしていました。

その頃から、言葉にならない気持ちを紙に綴り、絵にしてみたりしていました。絵を描くことは幼いころから大好きでした。私の絵は小中高での図工や美術の時間以外はほとんど独学であり、絵のための学校に通ったわけではありません。画材も興味を持ったものを買っては試して自分のその時の表現したい空気に合うものを探しながら描いていました。現在もそのスタンスはほとんど変わっていません。

言葉にならない想いは時に、クレヨンでただ紙面を塗りつぶすだけの時もありました。

言葉にならない怒り、悲しみ、孤独、自分に対する憤りそれをぶつけるためだけに描いたものもあります。その絵たちは今でも見るとその時の気持ちが思い出され何とも言えない気持ちになります。

誰に見せるためでもなく、深夜1人で自分の気持ちを絵と詩でスケッチブックに綴っては読み返して眠りに就き、朝目覚めると、枕元に置いてあるスケッチブックを読み返して本当の自分はちゃんとここにあると確かめて安心していたように思います。

20代になり、会社勤めの傍ら学び直したい事があり1994年より京都の大学に通った時期がありました。その時に出逢った人々は、老若男女問わずそれぞれの人生の中で立ち止まり、自分の中の問いに対する答えを探そうと自分に真摯に向き合い学びに来ている人ばかりでした。たくさんの良き友に出逢い、それまで一人ぼっちだったように感じていた何かが満たされてゆくのを感じました。

そこで出逢った友人達にいつしか自分の綴ったスケッチブックを見てもらうようになり、共感してもらえることの喜びを知るようになりました。そこからたくさんのご縁が巡り巡って1998年に個展という形でより多くの人に見て頂く機会を得る事になってゆきました。今まで限られた友人のみにしか見せていなかった世界を不特定多数の人に見てもらうということは、自分の心の奥底までも全てさらけ出すことであり複雑な気持ちでしたが、たくさんの方が共感して下さったり、私の絵や言葉を見た事で自分の中にあってもやもやしていたものが何なのかに気づいたと言って下さる方もいました。

自分の心をさらけ出す事は勇気のいることでもありましたが、初めの一歩を出した事で、自分の想いが誰かに伝わるのだということ、誰かが笑顔になってくれたこと、描く喜びという本当の意味を知ることが出来たのです。好きの延長で続けていたものがひとつひとつ形になり、それがとても嬉しくて楽しい時間でした。それから2005年までの間、大阪と関東を中心に個展を開催させて頂くことになってゆきました。

誰かとの心の交流がこんなに嬉しいあたたかいものなのだと知れば知るほど、私の中には次々と伝えたい映像や言葉が溢れ時間を見つけては作品を描き続けていました。それは生きる喜びに直結していました。

でも、マラソンと同じで、人はずっと同じ速さで走り続けることは出来ないのかもしれません。時には休憩、充電することで自分を見つめ直す必要もあったのかもしれません。

ある個展を終えて、その画廊のオーナーの方とお話しをしていた時に言われた言葉が胸に突き刺さりました。“良い世界を持っているのだから、あなたは売るための絵を描かないで、その世界を大切にしなさい”と。

自分の中では純粋に描いているつもりでも、個展を重ねてゆくたびに、どこかで買ってもらうための絵を描いていたのかもしれません。そんな自分に気づいていたからこそ、その言葉が胸に突き刺さったのです。

その個展終了後から、筆を持つ手が止まってしまいました。

純粋な想いが溢れていた頃とは違う、個展を開くための絵になってはいないか…そんな気持ちで誰かに何かを伝えることは出来ないのではないか…何より、純粋な気持ちを忘れた私が描けば、その描く世界のものたちに失礼ではないのか…たくさんの想いが渦巻いてずっと廻り続けていたコマがパタッと回転を止めてしまったようでした。

それまで長い間いつでも繋がることの出来た世界への扉は私の中からは消えてしまったのでした。繋がる方法がわからなくなってしまったのです。

創作すること、それを通して誰かと心と心の交流をすることが生きる喜びに直結していたので、その源から切り離されてしまったその感覚はモノクロの世界のようでした。

その少し前にパートナーとの出逢いがあり結婚を決めた頃でもあり、自分にとっては大きな変化の時期でした。その後出産を経験し、子育てと会社勤めの中で時間は過ぎてゆきました。ものを作ることに時間を使うことも次第に減ってゆきました。

2012年の終わり、突然に嵐の中に放り込まれたような出来事がやってきました。その半年後にはストレスから体調を崩し2度の入院をすることになってしまいました。その一連の出来事の中で、必然的に自分自身と向き合わざるを得なくなりました。高校生の頃にあらゆる書籍を読んでいたように、たくさんの書籍を読むことで自分に向き合いただひたすら、嵐のような出来事を学びに変えてゆけるようにあがいていたように思います。

2015年のある時、子供と一緒に絵を描いている時だったでしょうか、無性に色を塗りたくなった事がありました。しまい込んでいた画材を引っ張り出し、筆に絵具をつけてただ色を塗り始めました。すると、それまでもやもやしていた心の中が整理されてゆくようにすっと開いたような感覚がしたのです。

その時に、忘れかけていた感覚を想い出し始めました。たくさんの書籍を読んで答えを探したけれど、答えは自分の中にあるんだ!とその瞬間に想い出したのです。

それから、本の中の誰かの言葉を借りるのでもなく、自分の言葉で再びスケッチブックに想いを綴り始めるようになりました。

2016年の秋、ピンクのイルカが現れて私の目の前で笑いながらずっとこっちを見ているという不思議な夢を見て、不思議な感覚のまま目覚めた事がありました。その翌日も同じイルカが現れ、今度は私に体を貸してくれて私がイルカになって泳いでいる夢を見ました。泳いだ感覚のあるまま目覚めた不思議な夢でした。それまでイルカに興味を持ったこともなく、描いたことすらなかったのでとても印象深い夢でした。それからずっと起きている間もそのイルカが脳裏から離れず、とうとうある晩描くことにしました。それが、Just Smileというイルカの絵です。絵と共に言葉も浮かんできました。

描き終わった後、詩を添えてみました。

純粋に描きたいという気持ち、それをまた誰かに伝えてゆきたいという気持ち、10年以上経って再び自分の中で止まっていた何かが動き出したのを感じました。

自分の中で考えて作るものではなく、そこに既にある者たちを筆を通してこちら側に連れてきてあげること、その者たちの持って来るメッセージを書き留める事、自分のこれからやってゆく道が見えたような気がしました。

自分はただ、通す道具であり、すべての源につながる世界からやってくる者たちの世界を誰かに伝えてゆくこと、必要としている人にそれを伝えてゆくのだということ、それを毎日の生活の中でライフワークとしてやってゆこう。そう思い始めた時から、ある気づきがありました。かつていつでもつながる事の出来た世界への扉が閉じてしまった、消えてしまったと思っていたのですが、扉はいつでもそこにあって、自分が瞳を閉じて心を閉じて扉の鍵を閉めていたのだということ。本当は扉すらなくて、いつでも自分の心がそう思いさえすれば、その世界にいることが出来るのだということ。結局は全ての鍵は自分の心の中にあったのだということでした。

勇気を出して扉を開けたら、そこは光溢れ、仲間がたくさん待ってくれていました。

これからはこの命の残りの時間を、私の見ている世界を、絵とメッセージで誰かに伝えてゆきたいと、そう歩き始めています。

 

ホームページを作ると決めた時、Yuki lightworksと名前を付けました。暗闇を照らす灯となれるように、描く世界で光を届けたいという想いを込めました。これから少しずつ時間をかけて今までの作品をまとめてゆきたいと思います。時々またのぞいて下さったら嬉しいです。