Sacred Geometary 神聖幾何学


私はものごころついた頃より、模様やシンボルが大好きでした。特にクルクルと永遠に続くアラベスク模様や、インド更紗の中に書き込まれたペーズリー模様が好きでした。ある時、模様には一つ一つに込められた意味がきっとあって、それで世界は作られていると思った事がありました。

オーストリアの画家 グスタフクリムトの絵を高校生の授業で初めて目にした時の衝撃は今でも深く胸に刻まれています。

何度か日本で行われた展覧会に足を運び、美しく装飾されたクリムトの原画を目にした時、模様を絵の中に使っていいんだ!と許されたように思いました。クリムトの様に金色を絵の中に塗り込むようになったのは、もっと後なのですが、20代半ばにとうとうオーストリアのウイーンまで旅をしてクリムトの過ごした街を一人で歩いて回りました。

その中で、クリムトも又、絵の中の模様に意味を持って描いているのだと知りました。

それからというもの、数年間、模様ばかりを描き、画面もどんどん広げてゆきました。

シンボルについても世界シンボル辞典を愛読し、世界中のシンボルを調べてみました。

そのうち、形だけではなく、色の組み合わせにもきっと意味があるはずだと、色の持つエネルギーについても様々な書物を読んだりしていました。音色という言葉があるように、音も又色と同じでエネルギーであることを知り、音楽も絵と同じなのだと理解した瞬間がありました。

絵で音を表すには・・・とか、この曲を絵にしてみよう・・・とか夜な夜なそんな事を想いながら音楽を聴き創作していました。

 

それから、創作の世界は広がり始めて、動物たちに色をのせ、歌うように模様を描き込むようになってゆきました。

 

随分時を経て、神聖幾何学というものがあることを知りました。神聖幾何学とは、フラワーオブライフという模様で有名ですが、奥深く知る度に、私が模様を描き続ける中で探しているものを見つけられたように思いました。

 

今でも、気になるシンボルを見ると調べてみたりしますが、最近は肩の力が良い意味で抜けて来たのかもしれませんが、創作の中で自分の内から出てきた形はそのまま、そのものとして考え過ぎず、出てくるままになっています。

 

自然界を見渡せば、自分たちを含めて、すべての存在には幾何学模様が隠れているのかもしれません。

きっと、自分の中に既に存在する形だから惹かれてゆくのかもしれないと、最近思い始めています。

 

 


1997

深き祈りの淵に

 

深き祈りの声はきっと いつかこころの扉を開くだろう

 

In the depth of the prayer

 

The voice of pray will open the door of the heart, someday.

 

1996

1997

懐かしい記憶の再生

 

懐かしい記憶の底を流れてゆけば

辿り着く場所はきっと皆同じだろう

 

Rebirth of nostalgic memories

 

When you flow the bottom of nostalgic memories,

It's will be the same place we all arrive in the end. 

 

1997

孤高

 

その華の咲く やすらぎの場所は

きっとこころの中にある

 

Aloofness

 

The place of peace where the flower will bloom,

surely in your heart.

 

 

 

2000

1996

いつか見た夢

 

遠い記憶をたどってゆけば

探しているものはきっと見つかる

 

The dream I saw someday

 

If you follow distant memories,

You can find the answer you are looking for.