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静流さん ありがとうございました

昨晩、悲しいニュースが飛び込んできました。ご存知の方も多いかと思いますが、多岐にわたりジャンルを越えてご活躍された歌手のおおたか静流さんが9月5日にお亡くなりになりました。

 

静流さんとは夫を通して20年来の交流があり、昨晩からたくさんの場面が思い浮かんでいました。久しぶりに綴るメッセージがこんな形になろうとは思いもよりませんでしたが、生前頂いたこのご縁について少しお話しさせて頂こうと思います。

 

人と人との出逢い、巡るご縁というのは時に本当に不思議なものなのだと強く感じる時があります。

静流さんとの出逢いもそんな出逢いでした。

 

30年近く前の話になりますが、オーストラリア出身の夫は巡り巡って日本というこの国にやって来ました。その大きなきっかけを下さったのは静流さんでした。とある街の路上でお母さまとご一緒だった静流さんに道を尋ねられたことがきっかけで話を始め、それがきっかけで交流が始まり、日本に来た際に様々な人を紹介して下さったり大変お世話になったそうです。

私が夫と出逢ったのはもう少し後になりますが、当時から静流さんの歌に魅了されていた1人でした。

花の歌を聴いた時、この世のものとは思えないような魂に響く温かい声に、この人は誰だろう?とCDショップに探しに行ったことを覚えています。

私が静流さんと初めてお逢いしたのは結婚前でしたが、東京でお忙しい中宿泊先まで訪ねて来て下さいました。気さくにたくさんのお話しをして下さり、途中お仕事の予定があるにも関わらず、一緒に電車に乗り裏参道のアートスポットにいくつか連れて行って下さいました。その後何度かライブも行かせて頂き、結婚式にもお越し下さり、お祝いにとアカペラで”上を向いて歩こう”を歌って下さいました。又、友人の子供達も多く参加していたのもあり、当時出演されていたNHKの番組 にほんごであそぼの中で歌われていた”ぴっとんへべへべ”や”でんでらりゅーば”も歌って下さり、子供達は大喜びでした。(この時に、以前Blogでご紹介させて頂いたAna Maria Cristinaも踊って下さいました)

”上を向いて歩こう”は年齢を重ねる毎に、静流さんが結婚式に歌って下さった意味をしみじみと感じるようになってきました。

 

ちょうど私の誕生日に京都のお寺であったライブに行った際には、歌いながら登場された静流さんが私を見つけて、ウインクしながら”おたんじょうびおめでとう~”と他の歌詞に混ぜてこそっと歌って下さったこともありました。(嬉しすぎました)

 

数年してようやく子供を授かり大きなお腹になってきたクリスマスには、まだ見ぬ子に”でんでらりゅうば”のDVDをプレゼントで贈って下さいました。ですので、我が子は生まれる前から静流さんの歌声を聴いていました。

 

無事に子供が生まれたことをお知らせすると、静流さんのサインを入れて下さったベビー服を送って下さったり、ふとした時に見つけたとかわいいTシャツを送って来て下さったりと、いつも温かい気遣いに包まれている方でした。お忙しいはずなのに、いつも温かいメッセージも必ず入っていて…。

子供が外に散歩に出られるようになった頃、ちょうど近くで静流さんのインストアライブがあったので逢いに伺った時は子供との初対面をとても喜んで下さいました。そこでこそっと言って下さった言葉が今でも心に残っています。我が子の頭をなでながら、”ゆきさん、色々大変な事もあるかもしれないけどね、育つものが家にいるって本当にいいわよ”と。

この言葉は今でも私の母親としての軸になっています。

我が子のアレルギーが大変だった時にお便りに少しお書きしたら、すぐにお返事を下さって親身にアドバイスを下さったりもしました。

 

初めて親子3人でオーストラリアに帰省することを静流さんにお伝えしていたら、静流さんの大学時代のご友人でオーストラリアにお住まいの方が居られ、良かったら是非連絡してみてと連絡先を頂いたことがありました。実際夫の実家からそれほど離れていなかったのでその方にコンタクトを取り、訪ねて行ったことがありました。

その方のご主人はオーストラリアの方で、何と夫の弟の同級生!そのお隣に住まれていたのは夫の通っていた高校の当時の校長先生!!その方達とその校長先生はお隣同士、毎日行き来があったようで、その足で皆そろってお隣へ移動して、思いがけずに夫の当時の話を(何十年も前の話ですが、その先生はよく覚えていて下さったのです)聞く事になりました。かなりのご高齢でしたが、その先生がお亡くなりになられるまで数年間、何度もお目にかかることが出来ました。

この展開には、静流さんもビックリ。とても喜んで下さっていました。It’s a small world です。

 

他にも不思議なご縁は続きました。

私が個展活動をストップする前後の事はYuki’s Messageの中に綴らせて頂いておりますが、茨城県のひたちなか市で行われたイベントのポスターの絵を頼まれた事がきっかけで再び少しずつ絵筆を握るようになりました。

その、イベントの主催者である女性が私の絵の世界を気に入って下さりお声がけ下さったのですが、まだ実際にお逢いするよりも前に色々やり取りをする中で、彼女のご主人のお母さまが静流さんのご親戚であることがわかりビックリ!

早速静流さんにお伝えすると、本当にビックリされていました。その後、静流さんが出たばかりの信濃デッサン美術館 無言館に残されたメッセージから作られた”あの夏のまま…”という、とても切ない歌のCDを届けて下さったのですが、その中のお便りで関西でのイベントのご案内も下さっていました。

子供も大きくなっていましたので、久しぶりに静流さんに皆で逢いに行こうと、友人を誘って急遽伺うことになりました。

 

その場所は、某幼稚園だったのですが、静流さんともご縁が長年おありのようでした。

実はその某幼稚園、私にとってもとてもご縁があった幼稚園だったのです。通っていたとかそういうものではなくて…

 

話は遡りますが、20代前半に社会人であった私は京都の佛教大学の通信枠に通っていた事がありました。年に数回にわたり定期的にスクーリングと行って、普段顔を合わせる事のない学生が全国各地から大学に集まり受ける講義があるのですが、その時には会社が休みである土日の始発に近い電車に乗り京都に通っていました。ある日、京都行の電車内で、私の隣にご年輩の女性が座られました。途中で車掌さんに北野天満宮への行き方を尋ねられていました。車掌さんが去った後、人の少ない電車の中で自然とお隣同士で会話を交わしました。この朝早くからどちらに行かれるの?そんな感じだったと思います。ほんの20~30分位だったと思いますが結局ずっとお互い話をしていました。その方が降り際に、”とても楽しかったわ。又いつかお逢いできると良いわね”と言われ、某幼稚園の園長をされている事を言って下車されました。

袖振り合うも多生の縁とはこのことを言うのかしら…と思ったりしながら、とても印象に残った方だったので、自宅に帰ってからその幼稚園の住所を調べ、園長先生宛に絵を描いたハガキで電車内で楽しかったお礼状をお出ししていました。(全ての方にするわけではないのですが、その時、強くお手紙を書かなければと思ってしまったんですね)

それから彼女との楽しい文通が始まりました。ある時お電話を頂き、一度ちゃんとお逢いしてお食事しましょうよとお誘い下さって、不思議な再会をしたりもありました。数年の内に、私も創作活動をするようになり何かある度にお便りをお送りしていました。

 ある時から、突然ご主人からお便りが届くようになりました。その女性が部下の結婚式のスピーチ後に脳溢血で倒れられて、一命は取り止められたものの、リハリビが必要となってしまわれたとのことで、ご主人が彼女の伝えたいことを代筆して下さっていたのです。その代筆の文通も長く続きました。ある時、快気祝いのパーティーにご招待下さり、場違いであったらどうしようと思いつつお逢いしたい一心で出席させて頂いたことがありました。その中で司会の女性が私の事をご紹介して下さる場面もありました。

その後、初めての個展を開いた際には、我が事のように喜んで下さり、ご主人に支えられながらご遠方をわざわざ逢いに来て下さいました。それから数年後、ご主人からのお便りでお亡くなりになられた事を知りました。

私の20代にそんな出逢いがあった後、夫と出逢い、静流さんと出逢い、再び懐かしいその幼稚園の名前を目にしてご縁を感じ静流さんのイベントにお伺いすることにしたんです。

イベントの数日前に、静流さんとのメールの中で、その幼稚園の元園長先生とのご縁があった事をお話ししていたのですが、当日に静流さんのイベントが終了し、打ち上げの準備を幼稚園の先生方がされている時に静流さんがその時の園長先生を私にご紹介して下さり、”ゆきさんは前園長先生ともご縁がおありだったみたいなんですよ”お伝えして下さっていました。前園長先生とのお話しをかいつまんでその時の園長先生にお話しをしていた時のことです。その方が、途中で、”私、その快気祝いのパーティーで司会をしていたのよ。あなたとお逢いしているわ!”となって…全員でびっくり…

最終的にその打ち上げのパーティーに何故か私達も参加させて頂く事になりました。皆さんの前でご紹介頂いた際には、”ゆきさんのご主人は静流さんと某国某街で道を尋ねられたのがきっかけで出逢われて…ゆきさんと前園長先生は電車で隣の席に座られたのがきっかけで出逢われて…今回静流さんを通して皆さん繋がって…とご説明下さいました。

 

人生には様々な出逢いがあって、その時は気付かなくても点が繋がって線になり、それがいつか円になってぐるりと巡るのだということを身をもって体験したような気がしました。

ご縁とは本当に不思議なものだと静流さんとも話しながらお互い嬉しく感じていました。

その時の園長先生も帰り際に、"前園長先生がきっと天国で笑いながら見ているわね”とおっしゃっていましたが、本当に見えない天の高配を感じました。

 

実はその日が静流さんにお目にかかった最期の日となってしまいました。

この数か月ずっと気になっており、先日の日曜日(お亡くなりになる前日)に、近況をお伝えするお便りを書こうと思っていた所でした。

昨晩夫にその悲しいニュースを伝えた後に話していましたが、静流さんが居なければ夫は日本に来ていなかったかもしれないし、私達もお互いに出逢っていなかったのかもしれないこと。我が子に出逢うこともなかったかもしれないこと…

でも、確かに出逢いがあってこうして今があることが全てであること…やっぱり静流さんとの出逢いは感謝でしかないなぁとしみじみとお互い感じていました。

 

成長した我が子を連れて来年あたりに皆で東京に行ったら静流さんに逢いに行きたいねと話していたことは叶わなくなってしまいましたが、静流さんが下さったご縁の奇蹟を大切に、これからも命ある限り出来る事を探しながら生きていきたいと改めて思っています。

 

静流さんのあたたかな歌声と包み込んで下さるようなエネルギーをいつも感じながら…

何かあっても、あの日歌って下さった"上を向いて歩こう"が心の中にいつもあるから大丈夫。

きっとこれからも多くの人々の心を癒し、勇気付け、いつまでもそれぞれの心の中に生き続けられるでしょう。

 

今生で,もうお逢い出来ないのは本当に悲しく寂しいですが、きっと又いつか巡り巡るご縁の中でお出逢いすることを信じています。

 

静流さん、たくさんの愛をありがとうございました。

ありったけの愛と感謝を込めて。

 

ちょうど4日の夜に描き終わった久しぶりの1枚。鳳凰の絵を添えて…