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虹のイルカの応援団

京都伏見区にありますシフォンケーキとランチのお店、カフェトライムさん。店内では大きなプラレールがあり、いつも子供達で賑わっている素敵なお店です。売上の一部で小児がんの子供達の支援をされています。

ネットのニュースでお店の事を知り、必要でなくなったおもちゃをお店でお使い頂こうとご連絡させて頂き、京都からトライムの小川様が家までお越し下さったのが6月でした。(その出逢いと、カフェトライムさんがなぜ開店された等については6月のBlogにアップさせて頂いております。新しい出逢い - yuki-lightworks ページ! )

 

私も何か出来る事がないだろうかという想いがあり、何度も小川様とはメールやお電話でやり取りをさせて頂いておりました。

8月にちょうど5周年を迎えられるということで、記念の夏祭りを予定しておられ、それに私も参加させて頂く予定でおりましたが、京都も緊急事態宣言が出され、その後延長になりなかなか直接お店にお伺いすることが出来ずにおりました。

 

私が10年余り創作を離れてから、再び絵筆を握り始めたのが2016年。その時に描いたのはイルカでした。

カフェトライムさんが開店されたのも2016年。たくさんの想いの込められたお店のシンボルマークはイルカ。

ふと思いついたのは、イルカの絵を5周年の御祝にトライムさんに描かせて頂こうという事でした。

 

思い浮かんだイメージは、イルカが光の渦から湧き出るようにやって来て、お店に光を連れてやって来てくれる所でした。

キーワードは虹でした。

 

皆それぞれの色を持って生まれて来て、それぞれの色を生かし合って皆で美しい虹を作ってゆくのだとしたら、世界はきっと虹で溢れるはず。虹は1色では作る事は出来なくて、全ての色が集まって初めて作る事が出来るもの。自分の色を輝かせながら生きてゆく事が出来たなら、きっと自然に皆が集まって、互いに補い合いながら虹になってゆく…。虹が溢れる世界は笑顔溢れ、優しさが拡がる新しい世界。

 

そんなビジョンが浮かび、夢中で描きあげた1枚が Dream of Dolphine でした。

描きながらイルカたちがくれたメッセージは

We all have special colours. Let’s make beautiful rainbows together! 

皆それぞれが特別な色も持ってるよ。 さあ、その色で皆で一緒にたくさんの虹を作ろうよ!

そんなメッセージでした。

 

その絵が完成してから、あるアイデアが浮かびました。

その絵でポストカードやレターセットを作り、お店に置いて頂き、購入して下さる方がいらっしゃったら、その売り上げは全額募金に回して頂くようにするのです。

お金での寄付であれば一度にたくさんは、なかなか出来るものではないと思います。私自身が日々の中で寄付に回す事が出来るのも微々たるものです。自分に何が出来るのかを考えた時、私からの寄付として商品でお渡ししたら、お客様の中で寄付を考えられている方も気軽にできるのではないかなと思いました。

以前小川様がして下さった難病の男の子の話の中で、想いを受け取る側の気持ちを教えて下さいました。

お金もエネルギーです。皆が楽しい想いで寄付を作る事が出来れば、きっとその受け取る先にいる子供達にもそのエネルギーは伝わるのかもしれないと、そう思いました。

 

会社の夏季休暇、例年はオーストラリアに住む家族に逢いに行っている頃ですが、去年も今年もどこにも行くことは出来ずでしたので、時間はたくさんあります。描いた虹色イルカちゃんの絵をポストカード、ミニメッセージカード、レターセットにすることにし、夏休み中に印刷も上がって来ました。ミニメッセージカードやレターセットは以前から作ってみたかったものなので、今回思い切って作る事にして、私自身とても嬉しくて、一人で笑顔になりながら印刷の注文をしていました。

自己満足でしかないのですが、出来上がってきたたくさんの虹色イルカ達はとても素敵になって帰って来てくれました。

最近の週末は、便せんと封筒をセットしたり、1枚ずつ袋に入れたりの作業を色々想像しながらしていました。

 

本当は8月に予定されていた夏祭りの際にサプライズでお持ちする予定で進めていたのですが、10月30日に延期となってしまい、どうしてもその前にお渡ししたいという気持ちが強くなっていました。

 

先日8月末に関西テレビ「となりの人間国宝さん」という番組でトライムさんが取り上げられ、活動を知り感動された方がたくさんお店にお越しになられているようです。その中には寄付をお持ちされる方も多くいらっしゃるようです。9月に入り小川様からお電話を頂き、たくさんお客様が来られた事を嬉しそうにお話し下さり、寄付をお持ちされた方には今はその想いだけを頂戴しているのだとお伺いしました。

寄付の話をする中で、イルカの絵を差し上げる為に描いた事、その絵の商品が出来上がっていること。その商品の売り上げを全額寄付に回して頂きたいこと等々、全てお話ししてしまいました。(サプライズが出来ない私(笑))

コロナ禍ではありましたが、9月のどこかで絵をお持ちしたいとお話しし、今回19日にようやくお届けすることが出来ました。

初めてオーナーである奥様の小川清美様と飛川様ともお目にかかる事が出来ました。

美味しいランチをまず頂き、お店が閉店してからゆっくりと皆さんとお話しさせて頂く事が出来ました。

絵をお渡しさせて頂き、お持ちした商品もお渡しさせて頂き、大変喜んで受け取って頂きました。

 

お話ししたい事が互いにたくさんありすぎて、お疲れの所でしたのに、気付いたら閉店してから3時間もお話ししていました。

 

先日別のBlogでアップさせて頂いております、かめの家という障がい者の自立支援のための就労施設があります。障害を持つ娘さんのいる心友が仲間と共に長い準備期間を経て立ち上げられたばかりの施設です。その施設の為にも何か出来ないだろうかとずっと考えておりました。

私の中でトライムさんとの出逢いから、ずっと考え続けていた何か出来ることと、心友達のかめの家に協力できるかも知れないことが少しずつ想いが重なり、具体的なプランに変わって来ていました。

障がいを持つ人達も、病気と向き合っている子供達も、皆一緒に何か出来る方法、支援として継続してゆける方法について、私の中で温め始めた計画をトライムの皆さんにお話しさせて頂き、深く共感して下さいました。”Yukiさんが虹の架け橋になるのね”とオーナーの小川清美さんがおっしゃって下さった事がとても嬉しくて、たくさんの歩く勇気を頂いたような気がします。

今からは、少しずつ計画を形にしてゆこうと改めて思っている所です。

具体的な形になり始めたら、又Blogでお知らせさせて頂きたいと思います。

 

私が20代前半に京都の佛教大学の社会人枠で通っていた頃に出逢った二人の友人がいました。

1人は20歳を過ぎて高熱が出て、朝起きたら全身が動かなくなっていて、健常者から障がい者となってしまった女性でした。

もう1人は同じように20歳過ぎに肝炎を発症し、その後体調を崩し始めて頭痛が続く為検査をしたら眼球の後ろにガンが見つかり以来一進一退を繰り返していた女性でした。年齢は数歳しか変わらなかった為、その2人がいつもセットだった中に私が加わりいつも3人で逢っていました。私がちょうど絵の創作を初めた頃でもあり、展覧会に出展するようになるといつも観に来てくれていました。初めての展覧会は自分の事のように喜んでくれていました。

いつも二人が言ってくれていたのは、Yukiちゃんは私達が言葉にできない気持ちを表現してくれていて、きっと必要としている人がたくさんいると思うから、諦めないでずっと伝え続けてねという事でした。

 

障がいを持った心友は健常者からある日突然障がい者へとなってしまったことで、様々な心の葛藤を乗り越えながら頑張っていました。初めて彼女に大学の食堂で出逢った日に聞かれたこと。”Yukiちゃんから見て私の事どう思う?変じゃない?”でした。自分が障がいを持つまで、障がいを抱えて生きている人に自分が向けていただろう視線を今は自分がひしひしと感じているのだという事、今の自分を受け入れるのが難しかった事等を話してくれました。それから様々な時間を重ねながら互いの悩みや夢を語り合うようにもなりました。

その彼女は30歳を迎え、自分の誕生日に家族全員にプレゼントを用意して、無事に30歳を迎えられた感謝を伝えたのだと嬉しそうに話してくれました。しかし、その次の誕生日を迎える事なく、インフルエンザ脳症で突然この世を去りました。

いつも3人でいた1人がいなくなってしまったショックで、もう1人のガンを患っている心友は一時期寝込んでしまったほどでしたが、しばらくして2人で高野山の宿坊に泊まりゆっくりと亡くなった心友の事を偲んでたくさん話した事がありました。

 

そのガンを患っていた心友は一旦は完治したと言われていました。ちょうど私が群馬県の高崎市にある山田かまちの美術館横の広瀬画廊様で個展をさせて頂いた時、彼女は群馬県まで来てくれました。その後私が結婚することになり結婚式にも来てくれたのですが、その直後の大阪の個展に来てくれた時に彼女からの悲しい告白がありました。再発が分かったこと。上皮性のガンではなくて既にいくつか転移が見つかっている事。今後またしばらく長い入院生活になりそうだという事でした。

彼女は当時30過ぎでしたが、最終的には左目を摘出する事になりました。手術前夜には泣きながら怖いよ…と電話がかかって来た事を想い出します。お正月に主人と一緒に手術を終えたばかりの彼女をお見舞いにも行き、どんな声をかけたらよいのかと思いながら逢いましたが、とても気丈で私達がびっくりするくらい生きる事に前向きな彼女がいました。その後入退院を繰り返し、36歳で最期は自宅で静かに看取られました。

 

トライムさんの記事を見て深く共感した背景には、私にとっての悲しい想い出があったのもあります。

彼女たちとお別れをした時から、いつもこの命ある間に私に何が出来るだろうという想いがありました。表現することから離れてしまっていた時期でもその想いは常にありました。再び創作を少しずつしながら自分と向き合うようになって、改めて今の自分に出来ることは何かを問いながらいます。

もちろん、我が子を導き育てること、生涯のパートナーとして選び一緒に歩いて来た主人との関係を築き続ける事も大切な事です。

そんな自分があった上で、物心ついた時からずっと感じていた”なぜ自分はここに生まれて来たのか”の問いの答えを探し続けているような気がします。

 

トライムの皆さんとのお話でもあったのですが、たくさんの人が生きている中で、出逢いこうした時間を共に過ごせる事自体が奇蹟だということ。

問いの答えは自分一人で出せるものではなく、たくさんの出逢いの中で少しずつ形になって行くものなのかも知れないと今は感じています。自分がこの世を去る時に、たくさんの虹が拡がる世界であったらいいなと今は思っています。

 

まだまだ今から始まったばかり。

少しずつ又形にしてゆきたいと思います。

 

皆さんも素敵な出逢いがたくさんありますように…

 

トライムさんで待っているイルカちゃんにも又逢いに行ってみてください!