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宝箱を開くように

庭もチューリップの季節があっという間に過ぎて、ピカピカの新芽がぐんぐん伸びる美しい季節になりました。

春からGWにかけて、私の部屋(アトリエ)の大掃除をしていました。長年の間に徐々に荷物が増え、整理が追い付かず開かずの間になってしまっていました。大きなクローゼットには実家から10年前に送られてきた私の作品達や個展をしていた当時のもの等々でいっぱい。

大変な作業でしたが、思い切って全てを引きずり出して、かなりのものを処分しました。

 

30年近く前から綴っていた詩画集や作品達も段ボール箱6箱分出て来ました。

京都のインターナショナルアカデミーという学校のイラストと絵本教室に通っていた時期があったのですが、その時の様々な作品やメモも大量に出て来ました。インターナショナルアカデミーは今から思い返してもすごい教室でした。今は亡き安西水丸さんや原田治さんも講師で定期的に来られていました。特別講義では宮崎駿監督も来られ真近でお話を聴く事が出来ました。小学校の頃から憧れていた絵本作家の永田萌さんも来られていましたし、日比野克彦さん、黒井健さん、荒井良治さん、中島らもさん等々数えきれない方が先生として週替わりに来られ、20代のエネルギー溢れる時代にたくさんの生きた講義を聴けた事は全て栄養になっているのだと改めて思います。当時教室には様々な方が通われていて、現在イラストレーターや絵本作家として活躍しておられる方もいらっしゃいます。

 

当時の手紙のやり取りも大量に出て来て、読み返しては手が止まり懐かしさで一杯になってしまったり…

中には若くして亡くなった心友達からの手紙も出てきたり… たくさんの感情が一気に溢れ出しました。

 

掃除が少し落ち着いて、最近は夜に一人で段ボール一杯に詰まった詩画を綴ったスケッチブックを紐解いています。

まるで宝箱を開くような気持ちで…

30年近く前の自分が何を綴っていたのか、少しドキドキしつつ読んでいます。真直ぐすぎて心がヒリヒリしそうな言葉もたくさん隠れていて、懐かしい風景の中に一瞬で戻るようでした。

それでもやっぱり、綴ったのはこの自分自身。時がたっても心は変わらない部分があることに気付きました。

描きたい気持ち、綴りたい気持ちもきっと今も変わっていないのだと思います。

 

半世紀近くを生きてきた中で、30年前から徐々に遡って想いを追体験することは、きっと今の自分にとって、又これからの自分にとって必要なプロセスなのだと感じています。

例えば、好きなミュージシャンのアルバムを遡って聴きながら、そのアルバムの中の一曲一曲にまつわる風景を想い出すような…そんな感覚です。

 

これからの自分に、どの位の時間が残されているかなと想う事が多くなりました。

それは憂いの気持ちではなく、今の自分のいるこの場所からどこに辿り着けるのか、何がこれから出来るのか希望に近い想いなのだと思います。

 

どんな形になるかまだ模索中ですが、この宝箱の中の言葉や絵達を、今の自分のこの手で何か新しい形に残していきたいと思っています。このホームページを開設してから2年弱。それが第一歩だったとしたら、今度は二歩目、三歩目をゆっくりでも歩み進めてゆこうと。

 

何冊もの古いスケッチブックに綴られた詩画を読んだ夜に1枚の絵を描きました。

これから又何が生まれてくるのか楽しみにしています。

 

 

 

 

光の中で

 

懐かしいあの場所に戻ってみたら

あたたかい光が包んでくれたよ

 

忘れてしまったと思っていたものも

失くしてしまったと思っていたものも

もう逢えないと思っていたその人も

 

全ては光となって僕を包んでくれているのだと

僕の一部になっているのだと

そう教えてくれたよ

 

光溢れる場所はきっと僕の中にあって

君の中にあって

それぞれが生きるこの瞬間に

刻まれる想いが

光として残り続けている

 

笑顔も 涙も 憧れも

 

光の中を行ったり来たり

僕たちは本当の光になる日まで

旅を続ける

 

このハート一杯の絵は1995年頃のクレヨンでの落書きです。

懐かしいスケッチブックの中からの一枚。