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模様の中に見えるもの

ものごごろついた時から模様というものが大好きでした。

太古の時代から誰かの手で残されたものの中に、あらゆる模様は遺跡として残されています。

そうした物を目にする度にいつも、模様を形に残したかったその先人は何を伝えたかったのだろうと思っていました。

私の中では、模様を描くうちに、やがて言葉もイメージと一緒にやって来るようになり始め、無限に広がる宇宙の様なものをその中に探していたような気がします。

20歳の時に、高野山で曼荼羅を初めて目にしました。

その瞬間、一枚の絵の中に、言葉、模様、色、音、感情、描かれる緻密な法則の中に世界の全てが詰め込まれているように感じました。特定の宗教を持っているわけではないのですが、あえて言うのであれば、それは私にとっての宗教体験というものだったのかもしれません。私という時間が許されているこの生の間に求める答えがそこにあると感じました。

ヒントを与えられて、見えない場所にベクトルを合わせて歩み始めた瞬間だったのだと今でも思っています。

 

この数年は、あまり今まで描いた事がなかった抽象的な世界を描いていました。どこから来るのかわかりませんが、確かに刻まれた遠い記憶の中にあるきらきらしたまぶしい世界。しばらくそんな世界を描き出していた後に出てきたのは、好きな動物の眼差しでした。その動物たちのもつ命の煌めきが模様の世界と、その遠い記憶の中にある光の世界にも重なって来たような気がします。

久しぶりに紙を拡げた時、20数年前にひたすら描いていた模様が描きたいという衝動に駆られました。初めは黒のボードに金だけで描いていた線画でしたが、浮かんでくるのはもっと白い光に包まれているそんな世界でした。出来上がった1枚は蓮の華のようでした。

 

描きながら感じていたこと・・・

宇宙が闇の中の光から始まったのだとしたら、そこから一定の法則の元にあらゆるモノが生まれ秩序が生まれて行ったのではないかということ。混沌の世界から秩序を持つ世界へ…。

生命の始まりも初めはゼロの世界。そこからスパークと共に生まれる何かがあって、一定の法則の元で細胞分裂を繰り返し形という物が創られてゆくのだということ。

闇の中に、光が生まれ、音が生まれ、そこから色が生まれたのかもしれないということ。

 

自分の存在を考え始めた時から、それは今でも変わりませんが、自分の心ほどつかみきれないものはないと思っています。

混沌としたものだから、模様を描き、色でバランスを取り、言葉で補うことで自分の中の秩序を作っているのかもしれないと、最近思うようになりました。きっとそれが私が描く理由なのかもしれません。

音楽の中にも同じものを感じます。音楽家は何もない場所から音を感じ、その音を拾い、繋げてメロデイーを作り、ハーモニーを作ってゆくのでしょう。その中に言葉もあるでしょう。やがて歌となったものは、きっと、混沌の中から拾い出したその人の見つけた形なのだと思います。

私は創作している間、いつもあらゆる音楽を聴いています。その音楽の中で心の琴線に触れる何かがある度に、きっと私の中の混沌とした世界の中にも同じカケラがあったからなのだとそう感じています。

私の描く世界の中で、目にする方の心の中の琴線に触れるものがあったのだとしたら、きっとそれはその人の中にもあるカケラの一つなのかもしれません。

この同じ星の上で存在し続けている私達はきっと、皆根っこでは繋がっているのだと改めてそう思います。

 

自分というこの身体にいる間の時間というのは、年を重ねる毎にどんどん短くなってゆきます。

残された時間の中で、あとどれだけの形を混沌の中から連れて来られるかわかりませんが、少しずつ筆を進めたいと思います。

 

これを読んで下さっている方も、確かなカケラが心の中を彩る毎日でありますように♪