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作品の中の祈り

この作品は1997年に制作した覚醒というタイトルの連作です。

2枚で一組の作品となります。

 

この作品が生まれた時の事をふと今日想い出していました。なぜかHPの中にもアップしていない作品の一つでした。

 

1997年のある日、異国の心友から電話がありました。その心友のお姉様が子供を宿されていたのですが、お腹の中で亡くなっていることに気付かず、それが原因でその時お姉様も生死をさまよっている状態だと。一緒に祈って下さいと…。

 

その国を訪ねた事があり、家族や友達が温かく迎えて下さいました。

その心友の持つ宗教やバックグラウンドは全く違い、日本しか知らない私にとっては、家族への愛をまっすぐ伝える大切さを常に思うその姿勢はある意味衝撃に近いものがありました。お姉様にはお逢いした事はありませんでしたが、お互いに存在は知っている方でした。

 

離れている場所で、ただ私が出来る事は祈る事でした。生死をさまよう彼女にどうしたら祈りを届けられるだろうか…そう思っていた時に浮かんだイメージが蝶でした。その晩から気付けば描き始めていました。暗い闇の中をふわりと飛び立つ蝶。その蝶が飛び立つ瞬間にまばゆい光が辺りを輝かせている…正に生死をさまよう彼女の魂のいる場所の景色を描こうとしていたのかもしれません。一つ一つの模様を描きながら、ただその彼女の魂に届くように静かにその瞬間のエネルギーを紙上に刻む作業のようでした。

 

その二枚を描きながら、同時に描き始めたのがSacred Geometry の中にある”深き祈りの淵に”という作品でした。

そのタイトル通り、深い祈りの淵にたたずみただ祈る時、その場所にはこんな景色が永遠に続いていて、きっとその景色の中を生死をさまよう魂が、恐れから解放されてゆくように…肉体を持つ痛みから癒されてゆくように…そんな祈りを込めて夜通し、何日もかけて描き続けました。

 

彼女の生きていた時間を、エネルギーをその絵の中に残してあげたいと…そんな気持ちだったのかもしれません。

 

描き終わって数日してから、心友から再度電話がありました。

お姉様はそのまま天へ召されました。まだ30代の若さであったと記憶しています。

 

私の中で、祈りの淵から飛び立った彼女の魂は蝶になって自由になった…そんなメッセージを受け取りました。

あれから20年以上の年月が流れました。 その心友とはもう逢う事は今はありませんが、久しぶりにファイルの中のこの絵を見てあの頃に込めた祈りのエネルギーが蘇るようでした。

 

何度か個展の際にこの絵を展示させて頂いた事があったのですが、ご年輩の男性でお母様を亡くされたばかりの方が涙を流されたり、東京で2000年に開いた個展では、ふと入っていらした修道院のシスターの方が、この絵を見て、涙を流されて話して下さった事がありました。

 キリストの教えでは、私達はこの世にいる時は芋虫であること。死は全ての終わりではなく、正に芋虫から蛹へ、蛹から蝶へと変わる魂の旅立ち、解放の瞬間であるのだということ。

私は、初めてその時、蝶が死からの再生、復活の意味を持つことを教えられました。

 

しばらく経ってから、対で原画を購入下さった方も、続いてご家族を亡くされた事のあるご年輩の精神科医の先生でした。

 

誰かの為に祈る時、きっと光差し込む通路が開かれるのかもしれないと感じています。

その光は目に見えなかったのだとしても、ダイレクトに創造の源に繋がり、その祈りの先にある者にとって必要なエネルギーを降ろしてくれるのでしょう。光と共に降り注いでくれているものを私はイメージとメッセージで頂いたのかもしれないと思います。

 

 

魂が揺さぶられるような音楽、詩、ダンス … この世界はたくさんの美しい祈りが溢れ具現化されている世界。

 

この命ある間に、どの位の絵を描けるのかわかりませんが、又祈りを込めた作品を描いていきたいと改めて思っています。

 

 

1997                        

  覚醒Ⅰ

 

その旅を終えたときから きっと本当の目覚めの旅が始まる

1997                         

 覚醒Ⅱ

 

勇気の翼があるならば その旅は 永遠(とわ)に続くよ どこまでも

1997                       

 深き祈りの淵に

 

深き祈りの声はきっと いつかこころの扉を開くだろう